『Chlausebickliクラウゼビクリ』&『Devisli デヴィズリ』
スイス北東部の街アッペンツェルのクリスマスは、11月1日の『セント・セインツデイ:諸聖人の日』に子供達が両親や祖父母からカラフルな絵が描かれた『クラウセビクリ』を贈られることから始まります。
スパイシーで、甘い香り漂うクラウゼビクリですが、すぐに食べるわけにはいきません。
というのも、『クラウゼビクリ』にはアッペンツェル独自の「食べられるクリスマスツリー」『クラウゼツークChlausezüüg』を飾るメインアイテムとなるお役目が待っているのですから…
そこでまずは外に面した窓際に並べて置かれ、道ゆく人々の目を楽しませ、お客さまがいらしたら室内に向けられて「いらっしゃいませ ^_^」そうして過ごすこと40日から50日…
クリスマスが近づくと、いよいよアッペンツェル独特のクリスマスツリー:クラウゼツークに飾り付けられます。
Chlausebickli クラウゼビクリ
『クラウゼビクリ』はカラフルなアイシングでペイントされたドイツのレープクーヘンに影響を受け、1900年代初頭この地方の菓子職人が、ビーバーの生地を成型して焼いたフラーデン(パン)に絵付けを試みたことから生まれました。
絵付けの方法はドイツのミュンヘンから伝来した方法に独自の工夫を加えたもので、先ず焼きあがったビーバーの表面に絵柄が抜かれたステンシルシートを置き、その窓部分にアイシング(卵白と砂糖を練ったペースト)を薄く貼って白い絵付け用の下地をつくります。
そこにスクリーンプリントの技術を使い、黒くて細いモチーフの輪郭線を載せたら、食用色素を使って色ごとに彩色を施し、下部に緑色や白色のアイシングで波線のベースを描いて仕上げられます。
冬とクリスマスのモチーフには、白いアイシングで波状のベースが施され、地元の生活シーンを描いた伝統的なモチーフには緑色のアイシングベースを付けるのがお決まりで、その多くは菓子職人によって造り継がれてきました。クリスマスシーズンには、ワークショップも行われてちびっこペインターも製作中…
100年余りの歴史をもつ『カフェ・フェスラー』の店内には、年間を通してクラウゼビクリが壁面に飾られ、クリスマス期にはChlausezüüg:クラウセツークと呼ばれるアッペンツッェル独特のクリスマスツリー が窓際を賑わわせます。現在はオリジナルレーベルのチョコレートの製品も人気のカフェとして営業中
200年前とさほど変わっていないという農村の日常生活が描かれて、ほのぼの…かと思えば、
悪い子にはおしおきをしてしつけも行った昔のサンタさん 迫力ありますから子供達は怖かったでしょうね…
「Bickli」という用語は、風格のある衣服や頑丈な家具を表すために使用されていた言葉だそうですから、『クラウゼビクリ』 は「聖なるクリスマスを祝う格調高いお菓子」といった意味合いを込めたネーミングでしょうか。
Devisli デヴィスリ
明るくカラフルな色合いがレリーフの陰影を引き立てる素朴で可愛らしいビスケットデヴィズリ
使われる素材は全て食用ですから、もちろん食べられる!でも地元アッペンンツェルでは窓や壁に飾って眺めて、もっぱらインテリアとして大切にされてきたお菓子です。
デヴィスリは1860年頃 ドイツからアッペンツェルにやってきてコンディトライを開業したGrob グロブという名の菓子職人が伝えたドイツ南西部シュバーベン地方の白い焼き菓子『シュプリンゲーレ Springerle』に色付けして生まれました。
*コンディトライ (Konditorei) は、パティスリーとカフェを併設した店舗
シュプリンゲーレは小麦粉にたっぷりの砂糖、そして香りづけのアニス少々に水を加えて混ぜ合わせ、木型に詰めて型を抜き、数日おいて乾燥させてから、焼き色がつかない程度の低温(150~160℃)で焼いて仕上げる乳白色のビスケットで、その白地に食用色素で着色して生まれたのが『デヴィズリ』です。
名前の由来は砂糖菓子によく添えられていたキリスト教の「格言、標語:モットー」を表す「Devise デビーセ」から… デヴィスリは聖書の教えをお菓子に描いていた頃の記憶がその名に残るお菓子なのです。
グロブ氏亡なると、従業員一家がその製法を引き継ぎましたが、20世紀半ばには地元の菓子職人が独自の手法で新たなデヴィズリを生み出すようになっていきます。
絞り出しコルネットを使ってアイシングを載せてデザインを表したり、生地の白さを追求するため、砂糖と小麦粉で作った生地を焼かずに乾燥させて色塗りして仕上げたりと、芸術性の高いデヴィズリが生み出されてきました。
デザインも宗教的なものからアッペンツェルに伝わる農民画を写したものや、日々農業生活を描いたものへ移ろい、現代ではそのモチーフに制限はみられなくなっています。
こうしてお菓子の域を超えて、繊細な工芸品となったデヴィズリはクリスマス時期には『クラウゼビクリ』とともに、アッペンツェルのクリスマスツリー『クラウゼズイク』を飾り、その他の期間も地域の家々の窓や壁に飾られます。
デヴィスリ名手であったと名を残すヴェルヘルム・ヘスラー氏が創業した店は、3代目がアッペンツェルのメイン通りハウプトガッセで『カフェ・フェスラー』として営業を続ける人気店ですが、そんな同店にはアッペンツェルでクラウゼビクリが生みだされた当時それに関わった菓子職人グスタフA パートンが1908年に書き残した資料が保管されているとのこと。
クラウゼビクリやデヴィズリを生み出していった頃お互いに切磋琢磨していた職人さん達の熱気が伝わるようなお話です。そしてそれが作り継がれ、大切にされていることもまたアッペンツェル人の誇りなのだと感じます。
クリスマスの時期街のあちこちでデヴィズリを見ることができました。
1900年代の地域の生活が描かれているアンティークの『デヴィズリ』も味わい深い…
クリスマスマケットと、春:生命の誕生に活気付く村の生活を描いた2枚は原寸大でご覧ください。 Museum Appenzell所蔵 1900年代半ばの作品
Museumに展示された民族衣装の人たちと日常生活の情報を見ると、デヴィズリにはそれがそのまま描き込まれているのがよくわかります。1900年代のデヴィズリは、地元のペインターが馴染みの人たちをモデルに四季折々を描いていた記録でもあって、そんな意味でも貴重な作品
農民画『Senntumsmalerei セントウムス マーレライ』
アッペンツェルは古くから牧畜が盛んで、人々が、日々の営みの合間にチーズの木箱やミルクの樽蓋に生活シーンを題材にした絵を描いてきた農民画『Senntumsmalerei セントウムス マーレライ』の伝統があり、発見されている最も古いものは16世紀に遡るそう。
ハウプトガッセに面して立つアッペンツェル博物館では、たくさんの展示をみることができす。500年も前から自分達の生活を愛おしむ気持ちあふれる絵画を描いてきたアッペンツェルの人々だから、新たに伝わってきたお菓子にも絵を描き、色を載せてみようという気持ちが沸くのはごく自然の成り行きだったんでしょうね そんな気持ちで拝観しました。
以下 Museum Appenzell所蔵の絵画をご紹介しましょう。
Johann Baptist Zeller (1877-1959) ヨハン・バプティスト・ツェラー作 20世紀初頭 初夏 放牧地・アルプ(アルム)へ牛を追い上げるアルプ行列 牧童の少年とヤギ、その後に牧人と牛、牛の後に農夫とアルプで使う道具が続きます…
Johannes Zülle (1841-1938) ヨハネス・ツュレ作 Schellenshötten 1880年頃 アルプに到着し、カウベルを揺らしながらヨーデルを歌う牧人たち 右下に飾り絵のついた桶が見えますね。
Conrad Starck コンラート・シュタルク作 Fahreimer Bödli 桶の飾り絵 1823 年作
1900年作のアドベントカレンダーには村のクリスマス風景が描かれて…絵画左中央の窓があいて、お家の中にクラウゼビクリが飾られている様子が描かれていますのでご注目ください。