クリスマスの起源と由来 12月25日になったのは…
クリスマスツリーやリースは古代ゲルマン人たちの自然信仰に基づく慣習がキリスト教と融合して継承されているものですが、北欧のクリスマスを飾る麦わらの山羊ユール・ボック(julbok)やヨウル・プッキ(joulupukki)もまた、北欧神話の神トール Thorのチャリオットを引く牡山羊を模しており、冬至祭に太陽の復活と豊作を願って神に捧げられていたものです。
また、フィンランドを中心にクリスマスの頃 麦わらのストローで作られるモビール『ヒンメリ』は、麦わらを切り、糸を通して大小の幾何学的な形を作り、組み合わせて仕上げられます。そこには、風の精霊が宿り、天から清浄な空間をもたらすとされた冬至飾りでした。
さらにウクライナのクリスマスでは、冬至の日には先祖の霊が帰ってくるとされ、豊かな実りの象徴である麦穂で作った人形の飾り「ジドゥフ」を飾り、食卓にはご祖先の分の料理も並べてその日を迎えていた…古来の祖霊信仰に基づくこうした風習がクリスマスの祝祭と融合して現代まで継承されています。
このように現代のクリスマスの祝祭のスタイルは、キリスト教が普及する前から個々の民族が継承していた神話や信仰に基づく冬至の風習を取り込み、融合して出来上がってきたものです。
日本でのクリスマスは、冬の楽しく華やかなイベントとしてすっかり定着していますね。それは日本に限らず、宗教の違いを超えて、世界の祭典になった様相です。
これほどクリスマスが世界中に広まって、受け入れられているのはなぜでしょう…
リース、クリスマスツリー、ケーキ、豚ハムや七面鳥のロースト、プレゼント、アドベントカレンダーなどクリスマスの風景を彩るものたちは、キリスト教の教義から発生したものではなく、古代から受け継がれた精神文化や冬至祭の風習に基づき、継承されていたものが、キリスト教のベールをまとって、新たな祝祭の表現になっていった経緯をもっています。このようにクリスマスはその根底に人類共通の自然崇拝や祖霊信仰から生まれた冬至の頃の風習を残し、継承しているから、DNAに刻まれた人類の「共通」が共鳴し合あい、世界中の人々に歓迎して受け入れられているのではないでしょうか。
クリスマスは12日間
カトリックのキリスト教国において12月25日のクリスマスはイエス・キリストがこの世に降誕されたことを祝う最大の祝祭日の1つで、4週間前からその日に向けて準備をする『アドベント』の期間が始まります。そうして迎える24日の『クリスマスイブ』、25日は『クリスマス』 さらにその日から12日後の1月6日に『公現祭:エピファニー』が祝われて一連の祝祭が終わりを迎え、この日をもって、クリスマスツリーやリースといった飾りが外される… その一連がクリスマスです。
*当時の暦でいう「クリスマスイブ」は12月24日の日没から深夜まで
「イブ」とは英語の「evening:夜」と同じ意味の古語「even」であり、クリスマスイブとは「クリスマスの前夜」ではなく「クリスマスの夜」を指しています。これには古代ローマの暦やキリスト教の前身にあたるユダヤ教の暦が関わっており、当時1日は日没に始まり、日没に終わるとされていたため、12月24日の日没から25日の日没までが「クリスマス」 そこで、クリスマスイブは、すでにクリスマスに含まれている24日の日没から深夜までということになります。
冬至のお祭りとクリスマス
クリスマスは、イエス・キリストがベツレヘムの馬小屋で生まれたことを祝う「キリストの降誕祭」であり、イエス・キリストの誕生日ではありません。
これは『クリスマス』の語源が、ラテン語「クリストゥス・ミサ」Christ「キリスト」+mas「礼拝」であり、現代英語ではイエス・キリストの「Christ」と、礼拝・典礼を意味する「mass」を合わせて、『クリスマス』すなわち「イエス・キリストの降誕を祝う礼拝」であることからも推察できるのですが、他のヨーロパ諸国では
フランス語では Noël「ノエル」
イタリア語では Natale「ナターレ」
スペイン語では Navidad「ナビダー」
ドイツ語では Weihnachten「ヴァイナハテン」 など
フランス語やイタリア・スペインの言葉では “ 降誕 ” が由来となっており、ドイツ語は “ 聖夜 ” という言葉から。デンマークやスウェーデンなどの北欧圏では冬至祭の呼び名であった Jul「ユール」がそのままクリスマスを表す言葉として使われていて、なるほどお誕生日ではないのです。
では、肝心のお誕生日は…ということになりますと、新訳聖書にはイエス・キリストの誕生日に関する記載がないため、 今となっては知る由もなく…
その起源は、古代ローマ時代 冬至の頃に行われていたサトゥルナリア祭さらにミトラ教の「不滅の太陽が生まれる日」の祝祭や、北方ゲルマンの冬至祭:ユールとされています。
先ずはローマ帝国内でのキリスト教の歴史を紐解くことから始めましょう。
ローマ帝国とクリスマス
イエス・キリストの降誕を祝うクリスマスが12月25日に定まっていったのは紀元4世紀のこと
その経過をみると、ローマ帝国内で長く少数派の新興宗教として迫害されていたキリスト教ですが、313年 コンスタンティヌス帝は〝ミラノの勅令〟によって帝国内のキリスト教の存在を公認します。
325年 カトリック教会の最高会議「ニケア公会議」で12月25日がクリスマスと決定され、
350年 教皇ユリウス一世が、キリストの誕生日を公式に12月25日に定めると布告
392年 ついにテオドシウス帝がキリスト教を国教化するのです。
こうしてローマ帝国内で厳しい迫害と弾圧を受けていたキリスト教が4世紀の100年間に国教となり、「クリスマスは12月25日と」の認識が定着していくこととなります。
その歴史の中でなぜクリスマスが12月25日に設定されたのか?
その謎の答えは、キリスト教以前のローマの人々の信仰と風習を知ると見えてきます。
『サトゥルナリア祭 Saturnalia』
キリスト教以前の古代ローマではローマ神話の神々が信仰を集めており、当時の暦で冬至の日とされた12月25日を前に、17日から23日の7日間 農耕神サトゥルヌスを讃えて催されたのが『サトゥルナリア祭 Saturnalia』です。ローマ社会でも盛大に行われるお祭の1つで、期間中特別な市も開催され、人々はろうそくや小さな人形などを贈り合って楽しみました。
サトゥルナリア祭は馬鹿騒ぎと社会的役割の入れ替えが特徴で、お祭りの最中は奴隷とその主人が表面上役割を入れ替えて振舞い、奴隷であっても公に賭博が許されたといいます。
期間中は常緑樹を飾り、たくさんの蝋燭を灯し、ご馳走を用意した宴会場が設けられると、大いに飲んで食し、歌って踊って、無礼講に近い陽気な宴会が続きました。日常の社会秩序をひっくり返して、ローマ中が賑やかに楽しんだのです。正装である白いトガは着用せず、カラフルなディナー用の服を着用し、誰もが奴隷が被るフェルトキャップピレウス帽を被り、この期間ばかりは奴隷が主人に口答えしても罰せられることもありませんでした。奴隷も宴会に加わり、主人と同じテーブルにつくことが許され、宴会の給仕を主人が務めました。とはいえ、この社会的立場の逆転は表面的なもので、現実には宴会の給仕は奴隷が務めることも多く、主人の晩餐の準備は奴隷たちが行ったといいますから、宴席で一時的な逆転が楽しまれていたのです。
(左)トガ、(右)紀元前4世紀 陶器に描かれたピレウス帽の男性
その宴席には松の実、ザクロの種、デーツやレーズンなどに大麦の粉を混ぜ、すでに焼かれたパンをパン種として加えたら、蜂蜜やハニーワインを加えて発酵させた生地を丸く成形して焼いた丸いパンケーキ『サトゥーラsatura』が用意されました。サトゥルナリア祭用に焼かれるサトゥーラの生地の中にはそら豆を一粒潜ませておき、その豆が入った一切れが当たった人は、たとえ奴隷であろうとその日はサトゥルナリキウス・プリンケプス「Saturnalicius princeps=無秩序の君主」と呼ばれ、王のように振舞うことが許されたのです。
その無礼講に近い乱痴気騒ぎに手を焼いたアウグストゥスやカリグラなど時の権力者たちが会期を縮小しようと試みるとローマ市民は騒乱と大規模な反乱で抵抗したというほどの人気を集めた盛大なイベントでした。
ミトラ教の祭祀「不滅の太陽が生まれる日」
紀元前1世紀 ローマ共和制時代の軍人ポンペイウスが小アジアを征服したことを機にミトラ教がローマに伝えられると、しだいに広まって、2世紀後半には皇帝がミトラ教の儀式に参加して信仰を推奨したこともあり、5世紀にかけて隆盛していきました。
太陽神ミトラを崇拝するミトラ教では、冬至は弱まって死んだミトラ神が力を取り戻し再び地上に生まれてくる日とされ、12月25日には『不滅の太陽が生まれる日 Dies Natalis Solis Invicti ソル・インウィクトゥス』と呼ばれる祝祭が夜を徹して行われました。
この日はローマ暦の冬至にあたり、古くから古代ローマの神話にちなんだ農耕神サトゥルヌスを讃える祭りサトゥルナリアが行われていましたが、ミトラ教が優勢となると12月25日は太陽神ミトラの復活を祝う『不滅の太陽が生まれる日』として祝われるようになっていきます。
キリスト教の隆盛
そんな中でキリスト教は次第に信者を拡大し、勢力を増していきました。
古来ローマ帝国は多神教を基本としていたので、自分たちの神以外を認めようとしない一神教であるキリスト教の教えが受け入れられるわけはなく、イエス・キリストは処刑され、その後弟子や信者たちは厳しい弾圧と迫害をうけたのですが、4世紀に入り、帝国の力が衰え始めると、313年コンスタンティヌス帝は〝ミラノの勅令〟によって、帝国内のキリスト教の存在を公認します。さらにミトラ教の信者であったコンスタンティヌス帝自らがキリスト教に入信 布教に努め、326年にはイエス・キリストが生まれたとされるベツレヘムの岩屋に生誕教会を築くまでに。
これはキリスト教のもつ教義や組織力に目をつけた皇帝が統一力をとり戻し、国の統治を容易にするためキリスト教を利用しようとする思惑もあったようです。
一神教であるキリスト教は異教の神や文化を認めません。そのため12月25日に伝統的に行われてきた異教の冬至祭を改めるべく、336年コンスタンティヌス帝は12月25日を『クリスマス』すなわちキリスト教における公式な祝祭日として制定し、伝統的に行われてきた冬至祭のキリスト教化を図りました。
キリスト教においてイエス・キリストは全人類をその罪から救うために降誕された救世主であると考えられています。
それに対して冬至は一年で最も日照時間が短く暗い日ですが、この日を境に太陽が活力を取り戻し、勢いを増していく希望に満ちた日でもあります。この冬至の日を起点とした明るさと希望の再生現象が人の世に光をもたらすイエス・キリストの降誕と重ねられ、「冬至の日12月25日は救世主の降誕を祝う日『クリスマス』にふさわしい日である。」と説くことで、キリスト教はローマで土着の信仰となっていたミトラ教徒との対立や摩擦を極力さけながら古来の冬至祭『不滅の太陽が生まれる日』とクリスマスを統合し、置き換えていったのです。
ケルト人やゲルマン人の自然崇拝とキリスト教
4世紀後半北方ヨーロッパからドナウ川を超えて始まったゲルマン人の大移動は6世紀までにヨーロッパ全域に拡散し、在住のケルト系、ローマ時代以来のラテン系の人々と混合しながらヨーロッパ文明を形成していきます。キリスト教化が進められる中でも、人々はケルト民族やゲルマン民族がもっていた精霊信仰や自然崇拝に基づく風習や神話の神を崇める祭りを守り、継承し続けたため、教会はそれらにキリスト教の教義をかさね、融合化する方向に舵をとりました。こうして巨木信仰から生まれた常緑の葉を飾る習慣は『リース』や『ガーランド』、『クリスマスツリー』などクリスマスを彩るアイテムとなり、祖霊崇拝や農耕に関わる行事やお祭りは、キリスト教の行事や聖人に関わる日が重ねられ融合されて今に受け継がれてきました。
クリスマスは復活祭に次ぐ大きなイベントとなり、9世紀頃には各地でクリスマスのミサなども行なわれるようになります。
古代北欧の冬至祭とキリスト教化
北欧で暮らした古代ゲルマンの人々はこの日を境に太陽が力を回復させていく冬至の日から新年が始まると考え、「ユール yule」と呼ばれるお祭りをしていました。
冬至をはさんで親族や集落の人々が集まり、丸太を積み上げ火を焚いて炎を囲みながら太陽の再生を祝い、ゲルマン神話の神オーディンやフレイに雄豚やビール、蜂蜜酒、蜂蜜ケーキを捧げ、前年の収穫と一年の無事を感謝し、来る年の豊穣と家内安全を願う… その宴席には亡くなった祖先の霊も参加すると信じられ、もてなしの料理を用意して宴を共にしたのです。
厳しい冬を超える前 冬至の日に屠殺した豚などの肉を食べ、夏~秋にかけて仕込んでいたお酒を飲むという風習はヨーロッパ中に存在し、ペルシア圏でも「ヤルダー」と呼ばれる冬至を祝う盛大なお祭りが続いていました。
こうした冬至祭は13世紀頃にはキリスト教の降誕祭と結びつき、ユールはクリスマスの行事全体を表す言葉となっていきました。
降誕日から公現日までの12日間がクリスマスに
こうして冬至と古来の風習が統合されてキリストの降誕日が定められたわけですが、キリスト教会はさらに新約聖書に従い「救世主」としてのキリストが出現したことを世に示すため、クリスマスの12日後に『公現祭 エピファニー 』を祝うようになり、降誕日から公現日までがクリスマス期間となって、一連のクリスマス行事が出来上がっていきました。
公現祭 エピファニー Epiphanie
新約聖書マタイによる福音書 第2章「…すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」
東方の三博士が星に導かれ、12日かけてベツレヘムの馬小屋で生まれたイエス・キリストをたずね、謁見し、贈り物を捧げた。すなわち 預言者らによって救世主がお生まれになったことが「公」に認められた その日は『公現祭 Epiphanie』とされ、 旧典礼暦の1月6日と定められたのです。英語のエピファニー「Epiphanie」は “ epiphaneia ”「公に現れる」という意味のギリシャ語に由来します。
こうしてキリストの降誕を祝う12月25日から、それが公に認められた公現祭の1月6日までがクリスマスの期間とされ、12月25日を一夜目と数えて、一連のクリスマス祝祭期間が終了するのが1月6日 そして公現祭最終日の夜を『十二夜』『トゥエルフス・ナイトtwelfth night』と呼ぶようになったのです。 ただし古来、1日は日没から始まり、日没で終わるとされていたため、旧典礼暦を現代の暦に当てると、12月25日は24日の日没から25日の日没にあたり、1月6日は1月5日の日没から6日の日没まで。
古代のローマ人やゲルマン人たちが冬至の日に常緑の枝を飾った習慣はリースやツリーになってクリスマスを飾り、ゲルマン人が冬至の前夜子供達のブーツにゲルマン神話の神からのプレゼントとしてりんごやナッツを入れたり、ローマ人がサトゥルナリア祭で楽しんだプレゼント交換は現代でもクリスマスの楽しみとして受け継がれています。
古代ローマのナッツやフルーツを加えた贅沢な丸いパンケーキ『サトゥーラsatura』は、ローマが属州としたヨーロッパ各地でお祝い菓子として継承され、イタリアの『パンファルテ』や『パネトーネ』イギリスの『フルーツケーキ』、ドイツの『シュトレン』、ポルトガルの『ボーロ・レイ (Bolo Rei)』スペインの『ロスコン・デ・レジェス』などに進化してクリスマスを祝うフルーツケーキとなって今に至り、ケーキにそら豆を潜ませたサトゥルナリキウス・プリンケプス「Saturnalicius princeps=無秩序の君主」のゲームはそのままに、そら豆はイギリスでは銅貨や指貫に、フランスでは陶器製のフェヴにと、姿を変えながら2000年生き続けています。