ゲルマン信仰とキリスト教ボニファティウスの布教

お話の舞台は8世紀のヨーロッパ …4世紀後半に起きたゲルマン民族の大移動により、ローマ帝国領内にいくつもゲルマン人の国が建国されましたが、それらの多くは東ローマ帝国やイスラム勢力、唯一生き残っていくゲルマン人のフランク王国に征服され、8世紀の半ばまでに姿を消していきます。西ヨーロッパではフランク王国が数世紀にわたって勢力を強め、領土を拡大 5世紀末の建国初期からローマカトリック教会と関係を深め、領内でも民衆のキリスト教化を進めていくのでした。

8世紀のフランク王国領内では旧ローマ帝国に近い地域はキリスト教が広まっていましたが、ライン川の東部ドナウ川の北に位置し、深い森が広がるゲルマニア(現在のドイツ、ポーランド、デンマーク、チェコ、スロバキア)では、古代から続くゲルマン民族の伝統的な文化や信仰が色濃く残っていました。

719年 イングランドのウェセックス出身のベネディクト会修道士ウィンフリートWinfridはローマを訪れ、教皇グレゴリウス2世からゲルマニアでのキリスト教伝道の任を与えられました。その際、ウィンフリートは「善をなす人」を意味するボニファティウスBonifatiusの名を授かり、以後この名で布教活動を務めることになります。

ゲルマニアにやってきたボニファティウスはヘッセン、テューリンゲン、フランケン地方、バイエルン地方で布教を行い、現地の言葉でミサを執り行い、キリスト教会の改革も推し進めていきます。

723年 ボニファティウスは現在のヘッセン州北部のフリッツラーFritzlar近郊にあるガイスマル Geismarという小さな村にたどり着きます。そこではオークの巨木がゲルマン神話の雷神トールに捧げられ、神聖な木「トールのオーク」として祭られていました。

… 伝説によりますと、「ドイツにキリスト教を伝道した宣教師ボニファティウスは深い森の中で、巨木の周りにかがり火を焚き、幼児を生け贄に捧げて雷神トールをなだめる冬至祭り行おうとしている村人達に出会いました。これに対し、ボニファティウス「神は幼児の生け贄など欲してはいない。それどころか、人々の救い主として神の幼子を与えてくださったのだ。」とキリスト教の神の愛を説いて、村人たちに間違った信仰を捨てるよう説得。トールの木を切り倒しにかかったのです。

神聖な「トールのオーク」を傷つけては雷神トールの怒りを受けると、村人達は恐れおののき、怒りと不安をボニファティウスにぶつけますが、そんな村人達を前に、ボニファティウスは

「もしこの木が聖なるものであるならば、トールよ、我に雷を落としてみよ!」と言い放ったのです。

トールのオークを倒したボニファティウス by wikipedia

ボニファティウスが「トールのオーク」を切り始めると、突然大風が起り、オークの巨木をなぎ倒してしまいました。これを見て、村人達はボニファティウスの言葉に耳を傾け始めます。

熱心にキリストの教えを説いたボニファティウスは、やがて村人達をキリスト教へと改宗させることに成功。

倒れた「トールのオーク」のそばには、モミの若木が芽生えたため、ボニファティウスはこのモミの木を「奇跡の木」として言い伝え、キリスト教の布教に用いていったということです。

以上は後世キリスト教文化の中で脚色されている昔語りではありますが、この時の様子を760年頃に修道士ヴィリバルドが『ボニファティウス聖人伝』に著しています。

以下ボニファティウス聖人伝から抜粋

「聖者ボニファティウスはガイスマーと呼ばれる地で、「トールのオーク」と呼ばれる並外れた大きさの木を倒そうとした。彼が不動の心の強さで切り欠きを切った時、そこには多くの異教徒がいて、彼らは真剣に彼らの神の敵を呪っていた。

しかし木が少しだけ切り開かれた時、突然上からの強風にあおられて大木が崩れ落ちた。そして破片は4つに別れて巨大な十字の形になった。この光景を見て、それまで呪っていた異教徒たちは逆に祝福してそれまでの不信心さを捨てた。

もっとも神聖な司教ボニファティウスは兄弟たちと相談した後 倒した木を使って講堂を建て、使徒ペテロに捧げた。」

ヴィリバルドはボニファティウスをキリスト教布教の英雄として描いており、倒れた木が十字になるというのも作為的ですが、ボニファティウスがトールの木を倒したのは史実で、ボニファティウスは教皇グレゴリウス2世への手紙で「木を切り倒すのに何時間もかかった」と書いています。

当時キリスト教の宣教師がゲルマニア各地でゲルマン人の神木や神殿を壊して布教活動を進めていた。 その先駆的な偉業として残る歴史史話です。

ボニファティウスは倒れたオークを木材として使い、この地に小さな礼拝堂を建てたと伝わり、現在そこにはフリッツラー司教座聖堂が建立され、聖堂前にはボニファティウスの銅像が建てられています。 

732年に、ボニファティウスがローマを再訪すると、ローマ教皇はボニファティウスを「宣教司教」に任命し、フランク王国の宮宰であるカール・マルテルは、ボニファティウスに保護状を発行 こうした特権を得てボニファティウスはその後も精力的に布教活動を続け、ヴュルツブルクとエアフルトに司教座を新設、フルダには修道院を設立しています。こうしてボニファティウスが布教した地域はローマ帝国の外で最初の司教区になり、ボニファティウスはゲルマニア司教に任命されています。

16世紀 クリスマスツリーが飾られるようになると、「ボニファティウスが伐採して倒されたオークの巨木の代わりに生えてきたモミの木がキリストの降誕を祝うクリスマスの木になった…」というお話ができあがり、実しやかに語り継がれたというのですから、教会の想像力&創造力のたくましさに敬服です。

8世紀 ボニファティウスら宣教師によって否定され、改宗を迫られたゲルマン民族古来からの信仰のその後は … 

キリスト教に飲み込まれてしまうかと思いきや、さにあらず。DNAに、そして心の真髄に刻まれたともいえる信仰は消え去ることなく、キリスト教と融合しつつ、ボンファイアから生まれたユールログ はクリスマスケーキ『ブッシュド・ノエル』に、巨木信仰から生まれた常緑の葉を飾る習慣は『リース』や『ガーランド』、『クリスマスツリー』などクリスマスを彩るアイテムに、と今に受け継がれているのです。

そしてこちらも…

魔女の宅急便」のモデルになったと云われるスウェーデン  ゴットランド島に残る『ゴットランド・クロス』です。

キリスト教を受け入れながらも、古来ゲルマンの人々にとって信仰の対象であった太陽を十字架に合わせることで、祖先から受け継いだ信仰も持ち続けている証とした… このような十字架はヨーロッパ各地に残り、人々が決して忘れることなく持ち続けた精霊信仰、自然崇拝の心を伝えています。