Basler Leckerli  バーゼラー レッカリー Läckerli🇩🇪

バーゼラー レッカリーは、麦粉にたっぷりの蜂蜜、シナモンやナツメグなど各種スパイスや刻んだナッツ類、さらにオレンジやレモンのピール そして特産のさくらんぼ酒:キルシュワッサーも加えて混ぜ合わせた生地を1cmほどの厚みに焼きあげ、アイシングで表面をコーティングしてから、一口大にカットされるスイス バーゼル自慢の伝統菓子です。

卵やバターを含まず、蜂蜜がたっぷり使われるため、食感はしっとりネチッとして、噛む度に複雑な味が染み出して、スパイスの香りが美味しさを引き立てます。コーヒーや紅茶を添えるもよし、「地域で採れる葡萄から作られるスパイスワイン『ヒポクラテス』に浸して食べたら、美味しさ100倍! 是非試してね。」…は地元っ子からのアドバイス さらにパーティーではシャンパンと共に振舞われます。

🍒『キルシュワッサー』はさくらんぼを発酵させて造られる無色透明な蒸留酒 お菓子作りでは、香り付けに使われます。

老舗専門店に加え、パン屋さんやマルシェの屋台、路上のワゴン販売と、バーゼルの街中どこでも気軽に購入でき、観光客にも大人気 日持ちもしますから、お土産にも最適です。

Läckerli

ドイツ語で「とっても美味しい!」は、Das ist sehr lecker!

Leckerは「おいしい」を表す言葉で、そのの語尾にスイスジャーマン(スイスドイツ語)で小さくて可愛らしいものを表す接尾語 li がつけられたLackerli は「小さなおいしいものちゃん」といった表現

ザンクト・ガレンやアッペンツェルの『Biberビーバー』のミニサイズ版が『ビバリ Biberli』と呼ばれるのと同じですね。

ですから『Basler Lackerli』は「バーゼルの小さな美味しいものちゃん」

バーゼラー レッカリー誕生物語

このバーゼルを代表する伝統菓子には長く語り継がれた誕生伝説があります。

1431年 時のローマ教皇マルティヌス5世は分裂したカトリック(西方教会)と正教会の合同を目指して『公会議Council』を招集し、バーゼルをその開催地として指名します。

公会議はヨーロッパ中の教会から司教が集まり、審議決定する最高会議です。司教は教皇によって任命され、各教区の長として全権を託され、指導の責務を負う最高の役務職で、当時の司教は、領主と同等 またはそれ以上の権力をもっていましたから、そんな方々が一堂に会する公会議は一大イベントでありました!

この『バーゼル公会議Council of Basel』開催の準備を進める中、各地から集まる300人ほどの司教にふるまうお茶菓子の候補として『レープクーヘン』が挙がります。これに対して、レープクーヘンでは慎しすぎる…と懸念する声が上がったため、従来の材料である小麦粉、蜂蜜とスパイスに、ナッツやドライフルーツ、フルーツピールなどを加え、よりリッチ感のあるレシピが考案されると、その進化系レープクーヘンは採用の栄を得ることとなりました。

この公会議は立場や考え方の対立さらに思惑が交錯したことにより、ほとんど参加者が集まらず、開会に至らなかったのですが、これをきっかけに豪華にバージョンアップした『新生レープクーヘン』はバーゼルの郷土菓子として作り続けられましたとさ…

公会議開催の地に指名されるのは街としても大変名誉なことでありましたから、その出来事と、伝統菓子の由来が合体した伝説は長く実しやかに語られてきたのでしょう。

旧市街をそぞろ歩けば、至る所で築600年を越す建物や中世から使われてきた噴水を見ることができます。左の写真…赤い木組の家の壁面にはこの建物が建てられた西暦「1437」が刻まれて… 住う人の生活を包み込んできた600年近くに想いを馳せながら見上げると愛おしさがわいてきて、しばし足が止まりました。レープクーヘンはこの街の人たちの営みの中で作り継がれて、「バーゼラーレッカリー」として今に続いているのですから、時を超えた伝説があるのもうなずけるというものですね。

史実はいかに?

バーゼル生まれの郷土史研究家 Albert Spycherアルバート・スパイチャー(1932~2020)は丹念な調査研究をおこないつつ歴史をたどって、その結果を『Leckerli aus Basel Ein oberrheinisches Lebkuchenbuch バーゼルからのお菓子 - ライン上流ジンジャーブレッドの本』1991年刊と、『Ostschweizer Lebkuchenbuch東スイスのジンジャーブレッド本』2000年刊に表しました。

この2冊の本を元に、バーゼルのレープクーヘンの歴史を追ってみることにしましょう。

バーゼル大聖堂 修道院に「1340年頃 アーデルハイディスという名のジンジャーブレッド職人がミュンスター教会の近くに埋葬された」との記録残っています。このことからこの頃すでにドイツのニュルンベルクからレープクーヘンが伝わり、専門の職人によって作られていたことがわかります。

スイス全域は11世紀以降神聖ローマ帝国の支配下にありましたが、交通の要衝として経済が繁栄していたバーゼルには20を超えるギルド:職業別同業者組合があり、それぞれが独占販売権を握り、職人技を守り継承する態勢ができあがっていました。そんな状況下でレープクーヘンを製造することができるのは修道院と香辛料を扱うギルドのみであり、販売できるのは香辛料ギルドに属する職人だけでした。当時香辛料はその効能から医薬品として扱われ、かつ大変希少で高価な品だったため、扱いに精通した香辛料ギルドの商人がレープクーヘンの製造販売にあたっていたのです。

『薬剤師が材料を粉砕して菓子やラトヴェルグ を作る』

  H. Brunschwig 著「蒸留の本」から ストラスブール 1532

Leckerli aus Basel Ein oberrheinisches Lebkuchenbuch P42

 

 

さらに1428 年に記された牧師館の帳簿に、レープクーヘン作りの材料に関する最初のメモが含まれておりました。それによりますと、材料は麦粉に蜂蜜そして、コショウにクローブと生姜が加えられており、焼き上がったレープクーヘンは司教や高官への贈り物として使われています。

1458年から1478年までプルントルートに住んでいた司教ヨハン・フォン・フェニンゲンは、自身の日記に「時折パンギルドからスティックシュガーとレープクーヘンを受け取った。」と記録を残しています。彼は1431年招集されたバーゼル公会議の同時代の証人ともいえる存在で、贈り物として受け取っていたのは、麦粉とスパイスと蜂蜜から作られた従来のレープクーヘンです。

(左)ベル バーゼルの古い敷地内で養蜂を行っている  D . Burckhardt-Wild に よる水彩画 1780 年 (右)蔗糖は円錐形に成形され、固形で流通し、砕いて使われました。

Leckerli aus Basel Ein oberrheinisches Lebkuchenbuch P59

1500年頃記されたギルドの記録文書をみると、規定されていたレープクーヘンの混入物は、蜂蜜とスパイス(コショウ、パリグレーン、ショウガ、ナツメグ、クローブ、シナモン、サフラン)のみであり、その他の材料は一切含まれていなかったことがわかります。なおこの頃にはパンおよび製菓のギルドがレープクーヘンの製造を担うようになっています。

以上アルバート・スパイチャーが収集した歴史的記述から、15 世紀のバーゼル公会議の時点では砂糖やレモンやオレンジの皮の砂糖漬けやナッツは材料として使われていなかったことが判明しています。

こうした経過をたどりながら、バーゼル公会議から170年ほど経た1600年頃には、新年のお祝いや結婚式のためにパン菓子製造ギルドが注文を受けた請求書が残されて、レープクーヘンが中産階級市民の特別な日のお祝い菓子になっていたことがわかります。

さらに17 世紀も半ばを過ぎた頃には「Nürrenberg Lebküchleinニュルレンベルガー レープキュフリーが流行した。」との記録が残り、バーゼルでレープクーヘンが作られるようになって260年 ついにレープクーヘンは市中に出て市民の日常のおやつ菓子になったのです!

ここでしばらくアルバート・スパイチャーが収集した情報から離れて、中世ヨーロッパのスパイスと甘味料の事情をみておきましょう。

スパイスの多くは南アジアを原産としていて、運搬するアラブ商人とそれを中継するヴェネチアの商人によって値が吊り上げられるため、大変貴重で高価な輸入品でした。さらにそれは身体の諸症状に効く薬と認識され、香辛料ギルドの商人が経営する薬局で取り扱かわれる時代が長く続き、『アポテケシュレック Apothekerschlecks 』とよばれて医師や薬剤師が扱う補完的な医薬品でした。

1600年代入り、大航海時代が到来するとスパイスは産地から帆船によって直接ヨーロッパの港に運び込まれるようになって、流通量が増え徐々に価格も下がっていくことになります。

甘味料はといいますと、古来ヨーロッパで自給できるのは蜂蜜のみで、サトウキビ糖:蔗糖も遠く南アジアから運ばれ、こちらも『薬』として扱われる貴重品でした。 レープクーヘンに使われる甘味料が蜂蜜だったのにはそんな事情もあったのですね。

16世紀になるとカリブの島でサトウキビが栽培され、そこで精製された蔗糖が供給されるようになり、17世紀に入るとイギリスの植民地政策により、さらに生産地が広げられて、砂糖の価格は徐々に下がっていきました。第一次甘味料革命の到来です。

大航海時代を迎えてスパイスと砂糖の供給量が飛躍的に増え、さらにナッツや柑橘類などの輸入量も増えたことは食材確保に大いに貢献する変革となり…これをうけて、各地の貴族の家々でレープクーヘンのレシピ開発を競い合う風潮がおこりました。

男性の右下にオレンジの木の鉢植えが置かれていますね。高価な輸入品であるオレンジの木を所有することは富の象徴でした。冷涼なヨーロッパでは戸外での栽培が難しかったため、鉢植えにして屋内に置かれたのでしょう。

『小さなビターオレンジの木を持つフェリックス・プラッターの肖像 画、H. ボック d.A. 作、1584 年。 パブリック アート コレクション バーゼル、インターナショナル』

Leckerli aus Basel Ein oberrheinisches Lebkuchenbuch P72

ビターオレンジ の皮や桃の砂糖漬け作りを描いた 銅版画 1690年頃

Leckerli aus Basel Ein oberrheinisches Lebkuchenbuch P71

こうして新レシピ開発熱が高まる中で、従来生地の材料である麦粉・蜂蜜・スパイス類に加えて、砂糖やナッツや柑橘類のピールなど今に続く材料が加えられ、創意工夫が重ねられていったのでしょう。

ギルド独占からの解放

こうした背景を受け、ギルドが独占していたレープクーヘンの製造に対しその著作権と製造権の解放を求める声が大きくなり、1716年市当局は自由製造を許可するに至ります。

これに対して製造者ギルドは激しく抗議抵抗しますが、1720年「自由な芸術として誰もがLeb- küchli und Zuckerbrodtレープクーヘンとシュガーブレッドを作ることが許されるべき」であるとの判決が下りました。

こうして18世紀初頭 レープクヘンは市民が自由に作り、販売し、食べることができるお菓子になったのです。

ほぼ同時期 アルバート・スパイチャーは1711年10 月10日付けの庭師ギルドからの請求書の領収書の中 デザートとして記載された品に「レッカリー 3枚  «3 Blatten Läckerlin»」を見つけています。レープクーヘンの製造がギルドの独占から解放されたと同時期に、それは「レッカリー」と呼ばれるようになっていたのです。

「レッカリー」として記録された最古のレシピは、バーゼルシュタット州立公文書館に保管されている、1741年のアンナ マリア ファルキーセンの手書きの料理本にあります。

「バーゼル・レケルリーを作るために」

材料:蜂蜜 500 g、砂糖 250 g、アーモンド 175 g、オレンジの皮とレモンの皮 120 g、シナモン小さじ 2、クローブパウダー小さじ 1/2、ナツメグ小さじ 1/4、レモンの皮のすりおろし 1 杯、キルシュ 1 カップ、小麦粉 600 g  アイシング用:砂糖100g、水大さじ3

古き良き蜂蜜の半量を砂糖1ポンドと一緒に弱火で溶かし、アーモンドの皮をむいて刻んで半ポンドを蜂蜜の中で少しかき混ぜます。

レモンの皮 4 ロット、ポメランキンPommerantzen、ビターオレンジ4 ロット、レモンのくし切り 4 ロット、レモンの皮をすべて切って入れます。

ナツメグ 1 個、爪半分、シナモン 4 個ではこれは実現しません。それに押し込まれ、また入れられました。ただし、生地が型板上で広い場合に限ります。

濃いキルシュをスプーン2杯、強力粉2 1/2ポンドを入れ、その半分を蜂蜜に徐々に混ぜ、生地(...)を火の上で常に同じ道を作り、次にもう一方の小麦粉に入れます。

アイシングボードに置き、その上に上記のシナモンを注ぎ、しっかり味付けして暖かい場所で1時間ほど生地を休ませます。精製カリを1クイント押し込み、それで味付けした。

小さなモデルの場合は 1 ロットの生地を使用し、大きなモデルの場合は 1 1/2 ロットの生地を使用します。おやつは前日に作っておいて、パンの後に焼かなければなりません。」

 (1 クイント = 3.76 g、1 ロース = 15.01 g、1 ポンド = 480.23 g、1 メジャー = 1.38 L)

ほぼ現代の材料でもつくることができる豪華な材料を使った美味しいそうなレシピですね。

さらに1747年プロイセンの化学者アンドレアス・マルクグラーフが家畜の飼料用に栽培されいたビート(砂糖大根 甜菜)から砂糖:甜菜糖を分離することに成功

1802年にはビートを原料にた甜菜糖作りが工業化されたことで、砂糖の流通量は飛躍的に増えて価格は一気に下がることになり第二次甘味料革命が幕をあけました。この強力な追い風のもとアルバート・スパイチャーは「19世紀の終わりまでに、あらゆる種類のレッカリーレシピが集まりました」と記しています。

彼の著書にはバーゼルのみならずスイス各地で花開いたレッカリーレシピが多数掲載されて…

スイスの皆さん 時代を超えてレッカリーが大好きなことがよ〜く分かります!

ドイツのニュルンベルクから伝わったレープクーヘンは、300年近く前にはバーゼルオリジナルのレシピとなり、「レッカリー」と呼ばれるようになって、いつしか『バーゼラーレッカリー』と街の名を冠した呼称となって今に至る… まさに街と共に歩んできたお菓子です。

バーゼル…街の歩み

バーゼルは、フランスやドイツと国境を接し、街の中心をライン川が流れるスイス第3の都市です。大型船舶が往来できる最上流の港街として古くから水上交易が盛んに行われ、船舶は北海の港からオランダ、ドイツ、フランスとライン川を遡り、バーゼル港に物資を届けました。

さらに13世紀初頭にライン川に掛けられた「Mittlere Brückeミッテレーレ橋」はその後長い間、南のイタリアから北のドイツに抜ける唯一の陸路であったため、バーゼルはヨーロッパの陸と河川の交通の要衝として発展 中世には国境の街・商業都市として大いに盛え、財力を蓄えました。こうした状況を背景に、遠く運ばれるスパイスやナッツ、柑橘類など必要な材料が豊富に運び込まれたことはレープクーヘン作りにも好都合だったのです。

500年も前に建てられた市役所は、赤い砂岩で建てられ、石の色に合わせて何度も塗り直されたという壁一面に豪華なフレスコ画が施されています。市役所前に広がるマルクト広場はパラソルを広げた露天で埋め尽くされ、足場を確保して全景を写真に収めるのが難しい状況… 左の写真は広場を挟んで向かい合う老舗カフェ『Confiserie Schiesser』の2階から写した1枚です。 市役所は中に入ることもでき、館内の飾られた貴重な絵画は見応えがありました!

1870年開業のこちらの『カフェ シーザー』エレガントな空間で、バーゼラーレッカリーが過ごしてきた時の流れを思いながら… Applestrudel』をいただきました。

バーゼル大聖堂 その起源は12世紀まで遡り、何度も修復をかさね、ロマネスク様式とゴシック様式が混在する今の姿に… こちらも市役所同様ドイツ南部で取れる赤い砂岩で作られており、砂岩はライン川をさかのぼって、ドイツから運ばれたのだそう。

中世レープクーヘンは馬上槍試合に出かける騎士が思いを寄せる女性に捧げる贈り物でもあったたそうですが…  幻獣=バジリスクがひと突きにされて矢先が貫通しています!

ライン川の両岸に渡したワイヤーにロープで繋がれている渡し船は、川の流れを利用して両岸を行ったり来たり…市内のライン川にかかる橋が5つに増えた今でも市民の生活に欠かせない御用達ボートとして活躍してます。

Jakob's Basler Leckerly

1753年の創業 のヤコブのバスラー・レッカーリー Jakob's Basler Leckerly Manufakturladen, 』は、バーゼルで最も長い歴史をもつレッカリーメーカーで、手作りにこだわり、厳選された材料を使ってレッカリーを作り続ける老舗す。

ライン川沿いMittlere Brückeミッテレーレ橋に程近い店舗を訪ねると当主Andreasアンドレアスさん が出迎えてくださり、お話をうかがうことができました。

四角形にカットされ、スパイスの色を反映して、ボディーは茶色なのが一般なレッカリーですから、地味なイメージかと思いきや、店内はカラフルなレッカリーやお菓子たちと、色彩豊かでハイセンスなデザインが施されたお菓子缶が並んで、品よく華やか! 甘くしパイシーな香りに包まれる中、お客さまが次々いらして絶えません。

伝統の継承と新たな試み

先ずはJakob's Basler Leckerlyで製造されているレッカリーのラインナップからご紹介いただきました。それによりますと、18世紀半ばの創業当初からのレシピを継承し、厳選された材料で作り続けられるレッカリー『クラシック』に加え、『チョコレート』や『ハニー』など生地にアレンジを加えたものから、チョコレートやレモン風味のアイシングでコーティングしたもの、さらに「小麦粉を使わずに、アーモンドパウダーを主体としたグルテンフリーの商品も開発され、より多くの人がレッカリーを楽しむことができるための配慮も万全」とのこと。

手作りにこだわって…

一部マシンを導入するも、手作りにこだわって製造を続ける同社の工房内をご案内いただきましたので、ご報告しますね。

アーモンドのクラッシャー マシン作業は短時間に大量の作業ができますが、作業中摩擦によって高温にさらされるため、材料が変色したり、風味が落ちるデメリットも否めません。

あえて手作業にこだわるのは、アーモンドのもつ風味を保ったまま酸化による劣化のない状態で使おうとする姿勢の表れ!

材料:小麦粉にたっぷりの蜂蜜、シナモンやナツメグなど各種スパイスや刻んだナッツ類、さらにオレンジやレモンのピール そして特産のさくらんぼ酒を混ぜ合わせる作業はマシンにお任せし、そのあとは手作業で… 出来上がった生地を計量し、生地を伸ばしながらフレームに入れて、オーブンで焼き上げます。

生地が熱いうちに粗製糖と水を合わせて煮てつくるシュガーアイシングを大きな丸いハケでまんべんなく塗り広げ、冷めたら人力マシンでカット!1度に200個のレッカリーが出来上がります。

大切に持ち帰ったレッカリーたち 横浜の我が家のお庭に馴染んでるでしょ!?

上質な素材たちが見事なハーモニーを奏で、豊かな風味となって、本当に美味しい! 適度な弾力としっとりした食感も手伝って、次々手が伸びでしまいます…。 手作りにこだわって作られたあたたかみ🧡も感じられ、品性を感じるレッカリーちゃんたちです。

そして、いただく時は、主張しすぎることはないとはいえ、スパイシーなレッカーリーにはコーヒーか、濃いめのミルクティーを合わせてティータイムをしつらえましょう…っと思うのですが、現地では、スパイスワインに浸していただくのがオツ!なのだそうですょ。次回バーゼルを訪れたら是非体験してみたいものです。

通常大きくトレイベイクしてから、一口サイズの方形に切り分けられるレッカリーですが、蝶の型で抜いてアイシングで仕上げられたこちらの素敵なこと!

手作りにこだわって製造を続ける同社だからできる製品 これはスペシャリテとして使いたい プレゼントにも嬉しいですね。

バーゼルを訪れることがありましたら、ライン川沿いの散策と合わせて同店をお訪ねになってみてください。

ヤコブのバスラー・レッカーリー Jakob's Basler Leckerly Manufakturladen,

www.baslerleckerly.ch         

Jakob's Basler Leckerly Manufakturladen, 

St.Johanns-Vorstadt 47, 4056 Basel