Pain d'épices  パン・デピス…アルザス

フランスの北東部に位置し、ライン川を隔ててドイツと隣接しているアルザス地方 その呼び名は前1世紀から5世紀まで続いたローマ占領下で、アルサティアAlsatia と呼ばれていたことに由来します。そしてその地はボージュ山脈とライン川に挟まれ、葡萄、小麦、果物類に加え、乳製品と、農作物に恵まれた豊穣の地 点在するワインの産地をつなぐ『ワイン街道』が縦断しています。さらに鉄や石炭といった地下資源も豊富なことから、有力勢力の争奪戦を免れず、5世紀末にはフランク王国に統治され、9世紀からは神聖ローマ帝国の支配下となり、17世紀にほぼ全域がフランスに帰属したものの、その後ドイツ領とフランス領の間を行き来し、第2次世界大戦後はフランス領となっています。

その数奇な歴史を反映して、両国の要素を織り交ぜた独特の文化が花開き、料理やお菓子もドイツの香りを感じさせる素朴で力強い個性派揃い『パン・デピス Pain d'epice 』も、13世紀から続く歴史を背景に、様々な形状のものが作り継がれています。

13世紀末 神聖ローマ帝国(現ドイツ)南部ウルムUlmの修道院で、麦粉と蜂蜜を練って焼いていたパンの生地にスパイスが加えられ、『ペファークーヘン』が誕生すると、それは修道院つながりで周辺地域に伝わり、ライン川沿いに進んでアルザス地方、さらにフランス王国のランスReimsやパリParisにも伝播して、『パン・デピス』と呼ばれる厚みのあるパンタイプが生まれていきます。

神聖ローマ帝国 現在のドイツ南部バーデン・ヴュルテンベルク州ウルム(Ulm)のテーゲルンゼー修道院に、1296年に書かれた「麦の粉に蜂蜜とスパイスを混ぜて生地を作り、『ペファークーヘン』を焼いた…」とする手稿が残り、これはドイツに残る最も古い「スパイス蜂蜜ケーキ」の記録です。

*テーゲルンゼー修道院 Kloster Tegernsee

746年にアルプス山麓のテーゲルンゼーに設立された有力なベネディクト会修道院であったが、1803年に解散している。ミュンヘン中央駅から、アルプスの町々を繋ぐ私鉄BOBに乗り、北に50キロほど1時間もするとテーゲルンゼー駅に到着する。テーゲルン湖畔に残る修道院跡では、1050年に創業された醸造所が営業を続けている。

それから157年後の1453年 アルザスの小さな町マリエンタールMarienthalにあるマリエンタール修道院で「修道院のクリスマスの食卓で『ペファークーヘン』が供された」との記録が残り、ベネディクト派から分化し、フランスで発展したシトー派修道会の修道士ネットワークによって、レシピがライン川に沿って伝播していったことがわかります。

さらにこの地方には「アルザスのパン・デピスはドイツの老巡礼者がヴィレ村(現在リヴェヴィレRibeauville)に伝えたのが始まりだ」との昔語りが残っており、記述や口伝で『ペファークーヘン』伝播の道筋を辿ることができます。

*マリーエンタールMarienthalはアルザス地方にある小さな村「マリアの谷」という意味のドイツ語の地名 アルザス最古のマリア聖地として巡礼地にもなっている。ストラスブールから車で20分ほど

16世紀にはストラスブールより少し南に下った小さな町ゲルトヴィラー Gertwiller でレープクーヒャーLebkücher(:パン・デピス 職人)のギルド組合が誕生し、プレッツェルを口にくわえた熊を標章にしていたとの記録が残りますストラスブールは「道の町」を意味するラテン語「ストラデブルグム」に由来する名をもつ古来交通の要衝として栄えた町 貴重なスパイスも運び込まれ、パン・デピス作りに好都合だったのです。さらに蜂蜜にも恵まれました。

もみの木の蜂蜜

ライン川に並行してなだらかに連なるヴォージュ山脈に広がるヴォージュの森は、主にヨーロッパモミの木で構成されています。春気候がよくなるとモミの木が出す樹液を目当てにアブラムシが付着し、この寄生したアブラムシが分泌する甘露蜜を求めて蜂たちが集まり、独特の甘露蜜:『もみの木の蜂蜜 miel de sapin』を作り出します。気候条件が整い、アブラムシが大量繁殖するタイミングで地元の養蜂家が森に蜂を放ち、甘露蜜を採集してヴォージュの森伝統の蜂蜜を得てきました。濃茶色でクセのある風味は、生よりも加熱後に魅力を発揮するとされ、このモミの木の蜂蜜がアルザスのパンデピスに独特の風味とコクをもたらし、特産品になっています。

木型から抜き型へ

中世の間は、特産の梨の木の板にモチーフを彫り込んで木型を作り、そこに麦粉と蜂蜜とスパイスを捏ねた生地を押し入れて、凹凸のレリーフが浮き出た生地を型から外して焼いていました。とりわけサン・ニコラの日が近づくと、聖人の図像を彫り込んだものが人気を集めました。

18世紀ごろには生地を薄くのばして、抜き型でカットされて焼かれるようになると、パリでも売られるようになり、販路が広まっていきます。

二種類のパンデピス

アルザス地方に「スパイス蜂蜜パン」『ペファークーヘン』が伝わって600年

現在では1年中パティスリーの店頭で見ることができますが、貴重なスパイスや蜂蜜をたっぷり使うお菓子ですから、中世の頃はサン・ニコラの日やクリスマスの時期にのみ食べられるスペシャリテでした。その伝統は今に続き、パンデピスはアルザスの冬にスパイスの香りとクリスマス到来の高揚感を運んでくれるお菓子です。

地域の歴史と独特の文化を背景に、バリエーション豊富に、個性的なパンデエピスが楽しめるのもアルザスならでは。大きく分類すれば、ドイツの『ペファークーヘン』や『レープクーヘン』の流れをくむ、生地を薄めに延ばして型抜きして焼くクッキータイプと、ランスやディジョンに代表されるトレイに流し入れて、大きく焼いて、四角く切り分けるパヴェやパウンドタイプが共存しています。

ビスケットタイプ

ニュルンベルクのレープクーヘンなどドイツから伝わった伝統のスタイルにアルザスらしさが加わったもので、ねちっとした食感で、噛むたびにスパイスと蜂蜜の味が広がります。生地を平らにのばしたら、型で抜いて焼かれます。主にサンニコラの日やクリスマスの時期に食べられる。アルザスの冬にスパイスの香りとクリスマス到来の高揚感を運んでくれる存在

11月下旬になるとたくさん出回り、12日6日の『サン・ニコラの日』や『クリスマス』のプレゼントに好んで使われ、ツリーに飾られます。ナッツやドライフルーツを飾って焼き上げたり、焼いてからアイシングでカラフルにデコレートしたり、白いアイシングで表面を覆い、サン・ニコラや妖精などクリスマスにちなんだ絵柄の紙「クロモス」をおいてラッピングされると、クラシックな伝統感が漂って、このお菓子がたどってきた長い歴史を感じます。

ショウウィンドウに並べられたパンデピスたち。細長い楕円形のものは舌:「舌 langue」『ラング・ド・パン・デピス』と呼ばれ、サン・ニコラを描いたクロモスで飾られ、ラッピングされたものがたくさん並びます。

*クロモス Chromos

この多色刷りの印刷物はフランス語圏では『クロモス』と呼ばれますが、英語圏では「スクラップピクチャー」や「ダイカット」、ドイツでは「ポエジービルダー」や 「グランツビルダー」と呼ばれています。多色印刷機が発明された19世紀半ばに生まれ、その美しさと珍しさから、瞬く間に欧州で大流行しました。アンティークのクロモスは大変貴重で、コレクターの間でも人気がありますが、ドイツやイギリスには、現在も伝統的な手法でクロモスを生産している会社がわずかながら存在して、それらは今も、現地で日常的に使われています。

大切な人へのお手紙やカードにコラージュして貼ったり楽譜帳やアルバムを飾って楽しんだり、宝石箱や小さな家具を装飾したり、クリスマスシーズンになればジンジャーブレッドやツリーの飾り付けにも登場します。装飾用の紙パーツ、糊の付いていない紙製のシールです。

ペイブ、パウンドタイプ

フランスの町でマルシェを覗けば、たいてい量り売りのパンデピスが並んでおり、このお菓子とフランスの人々との長い関わりを感じるのですが、アルザスではストラスブールやコルマールの町で何件ものパティスリーが年間を通してパウンドタイプのパンデピスを焼き、特に11月も半ばともなれば、各パティスリーがいく種類も焼いて、オリジナルレシピを競い合います。

パウンド型は「ランゴ=金塊」に見立てて『ランゴ・パン・デピス』すなわち「金塊パンデピス」、さらに「舌=ラング」のように細長く焼き上げるものは『ラング・パン・デピス』と、呼び分けている店もあるこだわり様

伝統のパンデピスの材料は古来 麦粉と蜂蜜、スパイスのみ。そこに19世紀末 重曹やベーキングパウダーが開発されて加えられるようになり、ふんわり感が実現しました。とはいえ油脂の入らない生地は乾いた食感でかみごたえ十分 それを現地では薄くスライスしてバターを塗ったり、コンフィチュールを添えて、コーヒーや紅茶のお供に、さらにワインに合わせたりと、上手に楽しんでいます。

そこに加わったのが、伝統の生地に、オレンジのコンフィチュールやオレンジやレモンのピールを混ぜたり、フルーツのコンフィチュールやオレンジマーマレードを生地の間にサンドしたり、胡桃などのナッツ類を加えたり、チョコレートでコーティングしたり… 従来の材料に相性の良い材料が加えられた進化系パンデピス 贅沢になった現代人の味覚を十分に満足させるリッチなパン・デピスが生まれています。

従来使用されている香辛料はアニス、シナモン、丁子、生姜、カルダモンの5種類が基本ですが、こちらもパティシエ達の腕の見せ所 

ヨーロッパではお菓子作りの際、古くなったパン粉やスポンジ生地を乾燥させ、砕いた粉をケーキやタルトに混ぜてリサイクルしてきた歴史がありますが、この地域では、パン粉の代わりにパン・デピスの粉末を用い、シチューなどの煮込み料理に加えてスパイシーな風味とコクやとろみをプラスしたり、リンゴや洋ナシのタルトに混ぜ込んだり、日常の調理に使われます。

『Nonette ノネット』パンデピスの生地を小さな円筒形に型抜きし、中にコンフィチュール(ジャム)などを詰めたもの。中世期ランスから伝わったもので、アルザス特産のブルーベリーやフランボワーズ(木いちご/ラズベリー)のコンフィチュールが使われます。

サン・ニコラの祝祭日

サン・ニコラ(英語圏では聖ニコラウス)は3~4世紀頃トルコ南部ミュラ(現イズミル)で司教を務めた人物で、いくつもの奇跡を起こしたといわれ、6世紀に聖人に列せられています。

ライン川に沿ったオランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリア、スイスの一部地域、フランスのアルザスを含む北東部では、サン・ニコラは最も信仰を集める聖人の一人で、これらの国では、その命日12月6日を『サン・ニコラの日』として祝ってきました。サン・ニコラが樽に漬けられていた子供達を救い出した奇跡の逸話から、その日は『子供の日』としても祝われます。

12月アルザス地方の各都市ではサン・ニコラやロバ そして顔を黒く塗って中世風のマントをまとい、鞭をもったハンス・トラップ Hans Trapp が通りをパレードするイベントが恒例となっています。ハンス・トラップは、かつてオランダが大西洋をまたいだ奴隷貿易に深く関わっていた歴史を反映して、19世紀半ばのオランダで、サン・ニコラと馬またはロバの一行に、黒い肌の従者が加わってできたキャラクターです。子供の守護聖人であるサン・ニコラは、1年間良い子にしていた子にはプレゼントをくれますが、悪い子はハンス・トラップに鞭で撃たれるといわれ、こどもの躾にも一役かってきたパレードです。

この日は、午前中ミサに出かけ、 帰宅後サン・ニコラにパン・デピスを捧げてから、家族でいただくのが伝統のスタイル。

Manala マナラ

そしてもう1つ その日のために用意されるのが『Manala マナラ』=「小さな坊や」というブリオッシュ生地のパンです。マナラは身体に3つほどボタンがついた男の子で、ボタンの部分はレーズンか、チョコレートが使われて、ホットチョコレートやホットココアに浸して食べるのが現地流。マナラの由来はサン・ニコラを模ったもの、サン・ニコラが樽に漬けられていた子供達を救い出した子供など諸説語あり。

ストラスブールのクリスマス市:マルシェ・ド・ノエルは、1570年に始まったフランス最古のマルシェ そこに並ぶワゴンにも、パティスリーの店頭にもサン・ニコラモチーフのパン・デピスやチョコレート、マナラがたくさん並んで、人々はこぞって買い求めます。日本で年神様に鏡餅をお供えするのと似た習慣ですね。

12月5日の夜、子供達はサン・ニコラに伴われてプレゼントを運ぶロバのために、ブーツや靴下に干し草やオーツ麦またはパンそしてにんじんなどをいっぱい詰めて、ベッドサイドにつり下げてから眠りにつきます。翌朝目覚めると、オーツ麦やニンジンはなくなり、代わりに入っているパンデピスやマナラ、みかんやりんご、おもちゃなどに大喜び!

15世紀からサンニコラやロバをかたどったパンデピスがプレゼントに使われ、18世紀には、Manala マナラも加わって、今日まで変わらないお楽しみとなっています。

今でこそマナラは子供の日の象徴であり、「小さな坊や」ですが、17世紀には違う姿も持っていました。

11月30日はイエスの使徒の一人「聖アンデレ」の日です。1862年ごろの地域に残る文献に、「少年たちが、学校の女性教師にマナラをプレゼントした。」との記述が残り、結婚相手との出会いを望む若い女性がこの日にマナラを焼く習慣もあったとのこと。

この聖人の名に由来する「Andréas」は、ギリシャ語で男性を意味する「anthropos」に通じる言葉です。当時のアルザスでは、この日のマナラは、結婚適齢期の男性の象徴としてやり取りされていた歴史が見えてきます。

現代でも、マナラmannalaの別名として、「bonhomme(ボヌオム):男、おじさん」が使われているのは、かつて大人の男性だった頃のマナラmannalaの名残なのではないでしょうか?

1768年に設立されたパンデピスの老舗フォルトヴェンガー Fortwenger, fondé enの設立当初からのマスコットはマナラ:メンネレ männele です。同店によると、メンネレまたはマンナラは、人の形をしたパン・デピスまたはミルクパンを象徴しているとのこと。18世紀半ばには人型のパン・デピス マナラが存在したことがわかります。

プレゼントの起源

サンニコラの日及びクリスマスのプレゼントは子供たちに与えられるだけではありませんでした。1412年、ストラスブール病院  l’hôpital de Strasbourg  はクリスマスのお祝いとして、入院中のハンセン病患者にパン・デピスを配布しています。当時高価な薬用食品であったパン・デピスは甘くスパイシーで、何よりのプレゼントになったことでしょう。さらに村の祭りでは、村の功労者や著名人への贈り物としても使われ、男性が意中の女性に思いを伝える際の必須プレゼントでもありましました。

クリスマスツリーの起源

古来冬至の頃、常緑の枝を家に飾る習慣が続いていたアルザスで、:モミの枝に円形の軽くて薄いビスケット:ウブリoublies (奉献されていないホスチアhosties)と赤いリンゴが飾りつけられるようになりました。

17世紀に入り、枝飾りから発展して、モミの木1本を家屋に飾るとなると、当初は天井から木を吊り下げていたというのですから、今となっては不思議な光景ですが、それは公現祭まで飾られて、その後子供達が枝をゆすって、落ちたウブリやリンゴを食べることが許されました。クリスマスツリーの登場です。その後アルザスの人たちは装飾を加え、ナッツや梨やパン・デピス、プレッツェル、金箔飾り、色紙の花などが追加されます。時の経過とともに、ウブリはパン・デピスに代りました。

パン・デピスの町『Gertwiller ゲルトヴィラー』

 アルザスの『パン・デピス』を語るのに外せない街があります。『Gertwiller ゲルトヴィラー』…『ハウルの動く城』の舞台になったことでも知られる『Colmar コルマール』の街と、『Mulhouse ミュルーズ』のちょうど真ん中あたりで、ボージュ山脈の麓にある小さな街です。 *掲載の『アルザス地図』を参考にしてください。

16世紀 この街でパンデピス作りが盛んになり、職人のギルド(職人組合)が結成されるほどに 以来 ゲルトヴィラーは『パンデピスの街』として名を馳せ、今に至ります。

 

 FORTWENGER本店 / フォートウェンガー

 住所:144 Route de Strasbourg, 67140 Gertwiller

HTTPS://www.fortwenger.fr/  

200年以上続く老舗 博物館を併設し、工場見学や体験コーナーもあります。

パン・デピス専門店 FORTWENGER工房にて

 La maison du pain d'épices,Lips

メゾン・デュ・パンデピス リップス

住所 110 Rue Principale 67140 Gertwiller Fran

 https://www.paindepices-lips.com

 

リップスの2Fには博物館が併設され、開店した1806年以来使われてきた道具類、昔の広告や家具や食器、おもちゃまで展示されて心踊る空間が広がっています。