Pain d'épices  パン・デピス…ディジョン

ディジョンはパリのリヨン駅から南東の方向にTGV(高速列車)利用で1時間35分 『エスカルゴ』と『ブルゴーニュワイン』そして『マスタード』など美食の宝庫として名を馳せる街です。 中世 ブルゴーニュ公国の都であったディジョンにはフランドルから蜂蜜パンの『レーベンスクーヘン』が伝わり、それは時を経て、プロバンス産のラベンダーハニーと地元のアニスを使った『パン・デピス』へと姿を変え、今も愛されています。

1364年 フランス王ジャン2世(在位1350年~1364年)は王位を長男シャルル5世に譲り、末子のフィリップ2世:豪胆公(在位1364年~1404年)にブルゴーニュ公国を封じます。公国は貴族が支配している国を表し、王にあたる人物を「公」と呼ぶことから、フィリップ2世に与えられた領地はブルゴーニュ公国 そして若くから武勇に優れ、1356年のポワティエの戦い、続く1373年と1380年のイングランドによるブルターニュ侵攻時にも目覚ましい活躍を見せたフィリップ2世は、豪胆公の異名で呼ばれています。

1369年フィリップ2世はフランドルの領主フランドル伯ルイ2世の娘マルグリット・ド・ダンピエール(Marguerite de Dampierre, 1350~1405年):マルグリット3世を迎えて結婚

当時のブルゴーニュ公国の王都ディジョンDijoは、ヨーロッパの東西南北を結ぶ街道の要衝にあって、大いに繁栄しており、フィリップ2世は3世紀に造られた砦を背にする要塞を豪華な宮殿に増改築して居城『ブルゴーニュ大公宮殿』としました。

(左)フィリップ2世 Philippe II

(中)マルグリット・ド・フランドル Marguerite de Frandre

(右)ブルゴーニュ大公宮殿

美食家で、派手好きだったフィリップは、マスタードのレシピ開発にも積極的で、宮殿で催す大宴会でもマスタードを大量に振舞った豪快なエピソードを残して今に続くディジョン名産のマスタードに貢献しています。

一方マルグリット3世は小麦粉と蜂蜜、スパイスを材料にして作られた故郷のお菓子『レーベンスクーヘン』が大好物で、ディジョンの地に移り住んでも取り寄せて楽しんでいたとのエピソードを残しており、それは後にディジョン名物のパン・デピスへとつながっていきます。

1384年 マルグリット3世の父ルイ2世が逝去すると、男系が絶えたため、マルグリットとフィリップはフランドル伯位を相続 これによってデイジョン公国は飛び地としてフランドル(ベルギー)と、アルトワ(北仏)も領有することとなり、ヨーロッパで最も裕福な大貴族とりました。同年フィリップ2世は新たな所領に遠征するも、フランドルの各都市は容易に帰順することは無く苦慮しますが、対立ではなく和解を求め、公的な書状に従来通りフラマン語に使用を認める等の柔軟な姿勢が功を奏し、和解を成立させています。

大公宮殿の裏にあるノートルダム教会の中央には1382年フィリップ2世:豪胆王が遠征先のフランドルから戦利品として持ち帰った仕掛け時計が取り付けられています。その後1500年 に時を告げる鐘を鳴らす男性ジャックマールJacquemart が取り付けられると、1人では寂しいだろうと、1610年伴侶のジャクリーヌが加えられ、さらに1714年には息子ジャックリネが、1881年には娘ジャックリネットが加わって現在の姿になりました。息子は小さな鐘を叩き、娘は15分ごとの鐘を叩く働き者 ディジョネ:ディジョン市民の遊び心が500年かけて、鐘つき一家を作り上げた鐘つき一家です。

(左)ノートルダム教会の正面に立って左側にある横道シュエット通りRue de la Chouetteを入って行くと、幸せをもたらしてくれるとされるフクロウ:Chouetteに出会えます。数世紀にわたってディジョン市民のお守りになっているフクロウは、左手で撫ぜながら願いごとをするのがお約束 (中)壁づたいの左側に身を凝らすサラマンドルsalamandreと目があったら最後 願い事を食べられてしまいますから、ここは左手で!を忘れずに…  幸福を招くフクロウさんはすでにつるつる

(右)道に埋め込まれたフクロウの三角のプレートをたどって行くと、市内22ヶ所の見どころを効率導いてもらえます。

1420年代フィリップ2世とマルグリットの孫にあたるフリップ3世:善良公(在位1419~1467)は、武力と交渉を駆使してネーデルランド全域を領有するまでになるのですが、フランドル地方に遠征して、コルトレイクCourtrai(現ベルギー)でスパイス蜂蜜パン『レーベンスクーヘン』を食べて、大変気に入り、菓子職人を連れ帰っています。

これには、「フリップ3世がコルトレイクの入市式で、祖母マルグリット・ド・フランドルの大好物だったお菓子『レーベンスクーヘン』を献上され、喜んだフィリップ善良公は菓子職人とその菓子をともなってブルゴーニュの首都ディジョンに戻った。」とする昔語りも伝わり、ディジョンで作られたそれは『ボワシェ』と呼ばれて、パン種が加えられていたとされることから、ふっくら感があり、今日のパン・デピスに似たものだったのかもしれません。

3代目フィリップ3世は安定した統治を行い、所領を拡大したことから善良公の異名をもち、金羊騎士団を創設し、中世騎士道文化の最盛期を創世 フランドルから一流の画家や彫刻家を招き、ブルゴー二ュ学派の音楽を擁護したことで、ブルゴー二ュ広国は芸術の一大中心地としても栄光の時を迎えました。

4代目のシャルル・ル・テメレール:突進公(在位1467年~1677年)は、ブルゴーニュ公国の領土をさらに広げるために戦争を繰り返しましたが、1477年ナンシーの戦いで戦死します。シャルルは男子の後継者に恵まれなかったため、4代の君主が約100年に渡って統治したブルゴーニュ公国は終焉し、ブルゴーニュ地方はフランス王国の領土に組み込まれました。

ブルゴーニュ大公宮殿は17世紀後半 ルイ14世の命によって大改築されていますが、中央にそびえる「フィリップ善良公の塔Tour Philippe le Bon フィリップ・ル・ボン」部分は15世紀にフィリップ3世が作らせた当時の姿のまま残され、高さ46m316段の階段を昇れば市内を一望できる観光名所になっています。

現在宮殿は左翼が市庁舎、右翼がディジョン美術館として使われ、美術館ではフィリップ善良公をはじめとした歴代公爵の肖像画、ブルゴーニュ公国時代からの収蔵作品、モネやルノワールの絵画、宗教芸術品など幅広いジャンルの作品を見ることができます。フィリップ善良公と妻マルグリット・ド・ヴィエールの棺も安置されており、上面にお2人の大理石の彫像が横たわり、側面には王の葬儀に参列した人々の嘆き悲しむ様子が彫り込まれて、その芸術性の高さと煌びやかさに当時を彷彿とさせられます。

左)ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン:フィリップ3世の肖像

(中)ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン:フィリップ3世の棺

(右)シャルル・ル・テメレール:突進公の肖像

100年後 ブルゴーニュに「ゴードリー pain de gaulderye」というパンが登場し、徐々にボワシェにとって変わりました。小麦粉がキビ粉におきかわったことを除いてレシピはほぼ同じで、熱した蜂蜜にキビ粉を加えて作られていた伝統的な濃い粥「ゴード」を型に入れ、窯か灰の下に入れてもう一度火を通し、乾燥させて作られました。

1711 年のディジョンの納税者名簿にはじめて『パン・デピス』という名称 の記載を見つけることができます。その帳簿には、「サン ニコラ通り (現在のジャン ジャック ルソー通り) のジンジャーブレッド売り兼居酒屋の店主、ボナヴァンチュール ペラン Bonnaventure Pellerin が 『パン・デピス』を販売して8 ポンドの税金を課された。」と記されています。

ボナヴァンチュール ペランが『パン・デピス』の名で広告を作ったことに端を発し、次第にフランス国内で作られる「スパイス蜂蜜パン」の呼称は『パン・デピス』に統一されていきます。

フランス語で「スパイス」を「デピス」ということから、『パン・デピス』

フランス国内では1596年 国王アンリ4世によってランスのボワシェ職人によるギルドが公認され、以来ライ麦粉と蜂蜜にスパイスをあわせた生地を焼いて作られるランスの「ボワシェ」が大変な名声を博し、フランス随一の生産を誇って、隆盛を極めていましたが、18世紀初頭ブルゴーニュ地方のディジョンでも『パン・デピス』製造が盛んになり、コート・ドール県だけ12軒の生産者がいたことが分っています。

ディジョンの『パン・デピス』は、ライ麦粉を使うランスやアルザスと違い、小麦粉が使われ、香辛料は地元の特産スパイスである『アニス』のみが使われました…今でこそ、各種スパイスが加えられバラエティーにとんだパン・デピスも作られていますが、長い間ディジョンのパンデピスはアニス風味に限られ 、蜂蜜はプロバンス産のラベンダーハニーにこだわったものでした。

ミュロ・エ・プティジャン Mulotet Petitjean

20世紀に入ると、ディジョンはランスを凌ぐジンジャーブレッド製造地となり、第二次世界大戦までは12件の生産者がいましたが、工場生産の大手食品メーカーの参入で数が減り、昔ながらの工程を守りながら生産続けるのは現在『ミュロ・エ・プティジャン Mulotet Petitjean』1軒のみ 同社はフランス革命を経て、ナポレオンがイタリアに遠征して台頭を始める1796年創業し、伝統的手法を守る無形文化財企業(EPV)に認定されています。

ディジョン市内には店舗が3軒あり、ボスエ通りの本店は木造りの装飾が美しい15世紀の貴族の館。ツールドフランスの自転車たちが走り抜けたばかりの2024年7月 ブルゴーニュ大公宮殿近くの店舗のウィンドウには、大きな自転車パン・デピスが飾られ、その熱狂ぶりを伝えていました…。

パヴェ Pavé

パウンドケーキ型や小ぶりなノネット、薄くてクッキー状のジャンブレッド、棒状でうっすら糖衣を纏ったグラッセ・マンスなど幾種類ものパン・デピスが販売されていますが、創業当初から変わらず一番人気なのは大きく焼き上げてカットするボックス形の『パヴェ Pavé』

『パヴェ』はフランス語で「石畳」を表す言葉ですが、大きく焼いて、切り分けたボックス型のケーキを並べると石畳のように見えることから、四角い切りっぱなしパンも『パヴェ』と呼ばれます。

6Kgの小麦粉生地を焼きあげて12個にカットしているのがこちら。本店販売スペースの奥のコーナーでは切り分け作業が行われ、オーダーカットにも応じています。

その製造工程は

① 甜菜糖のシロップと蜂蜜(プロバンスのラベンダーをはじめとする百花蜜を全重量の31%)を混ぜたものに小麦粉(フランス産)を加えて練り、数週間(最低2週間)ねかせる。

② ①の生地にスパイス(天然アニスフレーバーと天然レモンフレーバー)、卵黄、ベーキングパウダーを加えて混ぜ合わせ、冷蔵庫内で熟成させる。

③ 生地を型に入れ、焼き上げる。

パン・デピスは、「パン」と呼ばれるものの、酵母は使わず、膨張剤としてベーキングパウダーや重曹が使われています。

プロバンス産の蜂蜜と、地元特産のアニスと小麦粉から作られたそれは、かつて『パヴェ・ド・サンテ:健康パン』と呼ばれたそう。蜂蜜は蜜源の花によって味や香り、色がさまざまですから、それを全重量の3割も入れ込むパン・デピスの風味に大いに関わってきます。

現在店頭に並ぶ『パーブ』には百花蜜が使われ、ラヴェンダー蜂蜜のパンデピスは店頭での扱いはないとのこと。

ハチミツとアニスの優しい甘さと香りは、合わせる食材を引き立てます。好みの厚さにスライスして、チキンソテーやフォアグラを添えて、オープンサンド風に、コーヒーやホットミルクに浸して…と、シンプルだからこそ、楽しみ方が広がります。

パウンドケーキ形やブタ、魚、街の名物にちなんだフクロウモチーフのパン・デピスは、とてもキュート エピファニー:公現祭の頃にはパン・デエピス生地のガレット・デ・ロワがお目見えし、復活祭の時期時には魚や鶏モチーフのパン・デピス…が登場して季節の宗教行事を彩ります。

ノネット nonnette 

『パーブ』に注ぐ人気商品は、小さめに丸く焼いたパン・デピスにジャムを入れた『ノネットnonnette 』18世紀半ばにランスで生まれたノネットですが、ディジョンでは特産のカシス(クロスグリ)のジャムを入れたものが人気を得、今ではカシス、ラズベリー、アプリコット、オレンジなどのジャムからチョコレートやキャラメルまで種類も豊富 油脂の入らないパン・デピス生地にジャムがしっとり感を与えて、ティータイムのおともに最適です。

同社の工場兼博物館はディジョン駅北側の小高い丘の上にあり、併設されている博物館にはパン・デピスと同社の歴史、原料、道具、さまざまな昔の型などが展示され、ガラス張りのウィンドウからは作業を見学することができます。機械を導入してオートメーション化している工程もありますが、手作業が担う分も多く残ることが分り、貴重な体験となりました。

ディジョンのパティスリーには、パンデ・ピスが必ず並び、マルシェのワゴンにもそれぞれの店の味のパン・デピスが積まれています。伝統的なものあり、アレンジに工夫を凝らしたものあり ディジョンはパン・デピス好きのパラダイス マスタードやフォアグラに加えて、パンデピスもご賞味あれ…

 「美食の街」ディジョンには、ブルゴーニュの『ワイン』に、マスタード、特産カシス(黒すぐり)からつくられるリキュール『クレーム・ド・カシス』、古くから栽培されているアニスシードを核(芯)にして、金平糖の要領で糖衣をつけた『アニスキャンディー』とお愉しみも沢山♪

(左)(右)最も古い街並みが残るフォルジュ通りに面するフランソワ・ルード広場

噴水とメリーゴーランドの周りはいつでも人がいっぱい メリーゴーランドの乗り物電車に取り付けられた『Mulotet Petitjean』のブリキのプレートの擦れたり剥がれたりしている姿にも時の流れを感じられるとびきりノスタルジックなエリアです。