ペルーニク Perník 2

大転換期到来…

19 世紀 ペルニークに一大転換期が訪れます。原因は砂糖と膨張剤の工場生産が可能になり、大量供給され始めたことでした。

地元で栽培される甜菜糖を原料に砂糖を精製する工場がヨーロッパ各地に建設され、安価な砂糖が大量に供給されるようになると、製菓産業が拡大し、菓子製品はより甘く、味も多様になり、安価で入手しやすい商品が出回るようになったのです。

さらに鹿角塩(炭酸水素アンモニウム)、重曹、次いでベーキングパウダーが開発されて工業生産が可能になると、それを使って焼いた柔らかい生地が好まれるようになり、従来の重い生地を木型に押し込んで焼くスタイルのペルニークは姿を消してゆく運命に。

これにより、1859 年にギルドが廃止されました。

この急激な変化にパルドゥビツェをはじめ、ペルニーク作りが盛んだった地域で新しい生産プロセスへのアプローチが始まりました。

製造方法を再考し、簡素化して、コストを削減する必要から蜂蜜の一部は安価な砂糖シロップに置き換えられ、生地の長期熟成は短縮され、次第になくなりました。新たに生まれたペルニークは、麦粉に蜂蜜や砂糖とスパイスそして膨張剤を加えて捏ねた生地を延ばして、ブリキで作られた抜き型で、型抜きしてからオーブンで焼かれました

円形や四角形などプレーンな形のものにはシュガークラフトやアイシングが施され、聖ニコラウスや悪魔、騎兵、赤ちゃん、動物、ハートなど 抜かれた形が意味合いを持つものには、それにちなんだクロモス(カラフルな絵が印刷された切り紙)が貼り付けられました。

生産はより速く、シンプルに、労働集約的に機械化を取り入れた工場生産に切り替えることでペルニークはスパイスの風味はそのままに、ソフトな食感も加わって、安価な庶民の日常菓子としての人気を回復することに成功したのです。

*クロモス(Chromos)は、フランス語圏での呼び方で、英語圏では「スクラップピクチャー」や「ダイカット」多色印刷機が発明された19世紀半ばに生まれた装飾用の紙パーツで、言わば糊の付いていない紙製のシール(ステッカー)です。その美しさと珍しさから、瞬く間に欧州で大流行しました。現代でもクリスマスシーズンにはジンジャーブレッドやツリーの飾り付けにも使われます。

ペルニークの町 パルドゥビツェPardubice

時代に合わせ、新生ペルニーク誕生に率先して対応したのがパルドゥビツェのペルニーク職人達でした。パルドゥビツェはプラハから東へ100キロあまり 電車で1時間弱 の小さな町

そこに現在ペルニークを工場生産している会社が4社、個人工房や店舗が15店 その製品は国内はもとより、海外にまで運ばれるペルニークのメッカです。

パルドゥビツェのペルニーク産業に関する最初の言及は、1515年にまで遡り、モラヴィアのペルンシュテイン家の一員であり、15世紀後半から16世紀初頭にかけてのチェコの最も重要な有力者および政治家の一人であったウィリアム2世によって産業育成のために奨励されたのがきっかけとなりました。

1589年ペルニーク製造業者はパン屋、製粉業者、麦芽製造業者とともに共同ギルドを設立しており、その時の名簿が保存されています。

ハプスブルク家支配時代の1759年女帝マリアテレジアからギルドの職人達に製造特権の確認証が発行されていることからも、小さな地方都市ながら、ペルニーク製造が盛んだったことが分かります。

1819年 製粉業者と食料品店は独立し、パン屋とペルニーク製造業者は共同ギルドに残るのですが、折しも迎えたペルニークの一大転換期にコスト削減と工場生産の開始で対応すると、19世紀から20世紀にかけて、パルドゥビツェのペルニーク産業は黄金時代を迎えます。欧州連合商標EUTM)も取得し、自治体も一体となってのペルニーク支援も功を奏し、国内だけでなく、海外への輸出でも成功を収め、今に至ります。

そのパルドゥビツェで三代続く老舗工房Pardubický perník Pavel Janoš

現在の当主ヤノシュ氏にお話を伺うことができました。彼はパルドゥビツェのペルニーク業界の中心的存在で、ペルニーク王の称号も獲得している方 生地は焼成前に3ヶ月寝かせ、原料は地元産にこだわり伝統を大切にしているそう。同時に大型の創作的なペルニーク制作にも取り組み、大手企業の記念品から家族のお祝いまでオーダーメイドを受けて製作した作品は1万点にも及ぶとか。以下店舗権工房と、ヤノシュ氏です⇩。

プレーンな生地にホワイトアイシングを施したものを購入して、店内で試食させていただきました。生地はきめ細かく程よくソフトでスパイスが香り、素朴で滋味深く、時を超えて支持されることに納得がいく思いでした。以下店内とペルニーク⇩。

伝統のレリーフタイプも壁に飾られ、ジャムを挟んだものやカラフルなアイシングをほどこしたものが店内いっぱいに並びます。郊外の住宅地にあるためでしょう。車でやってくるお客様が多く、買い物客が絶えない状況に、地元でのペルニーク人気を実感しました。ヤノシュ氏にいただいた資料には未知の情報が多く、記事にも反映させていただいています。

以下は展示されていた、先代ご夫婦の制作風景とお菓子の家を前に揃ったご家族写真です⇩。

プラハのペルニークショップ

首都プラハにもペルニークショップが点在しています。

Gingerbread Museumジンジャーブレッドミュージアム』(プラハ城近くのショップ) 

ペルニークの種類も多く、オールドタイプも展示販売 目前で生地作りやアイシングの様子を見ることができるのも魅力

Pernikův sen「ペルニークの夢」(プラハの旧市街広場から徒歩圏のショップ)

ショップのオリジナルに加え、繊細で美しい個人作家さんのペルニークを豊富に揃え、展示販売

チェスキークルムロフ Český Krumlov

チェスキークルムロフはプラハから南へ約180km バスを使って3時間 南ボヘミア地方に位置し、オーストリア国境に接する小さな町です。

チェスキーは、チェコ語で「ボヘミアの」という意味 クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を表すので、チェスキークルムロフは、「チェコのねじれた川辺の草地」

その地には、チェコの南西部のボヘミアの森に水源を発し、北上してプラハを通り抜け、ドイツを流れるエルベ川に合流するヴルタヴァ川が大きく蛇行して囲む内側の陸地に赤い瓦屋根の建物が軒を連ねる旧市街が広がり、それを見下ろす小高い丘にクルムロフ城がそびえます。

13世紀 南ボヘミアの貴族によって城が建設されたのが始まりで、1302年 町と城がボヘミアの有力貴族であったローゼンベルク家のものとなると、14世紀以降 手工業とヴルタヴァ川を利用した交易が盛んになり、16世紀にはルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかで華麗なルネサンス都市に。その後城主が変わる中で、次第に近代化から取り残され、さびれてしまったため、もっとも繁栄した時代の風景が損なわれることなく保存されています。

『Český  Perníčkyチェスキー ペルニーク』はそんな町が最も華やかだった16世紀当時のままのレシピと製法でペルニークを作り継いでいるショップです。

お城の城門前にある店内はペルーニーク 蜂蜜、蜜蝋キャンドル、蜂蜜を発酵させて作るお酒『Meadミード』ペルニークの蒸留酒『Pálenky』スパイス、ジャムなどがゆったりと置かれ、スパイスと蜂蜜の甘い香りが心地よい空間が広がります。

南ボヘミア産の蜂蜜、小麦粉、スパイスを使って作られるソフトな生地にアイシングを施したり、ジャムをはさんだ「食べるためのペルニーク」に加え、600年伝統を守って全て手作業で作られている『オールドボヘミアンペルニーク』は、ユニークなレリーフの、風格を感じる逸品揃い 昔は室内の装飾にしたり、すりおろして料理やお粥のスパイシーな甘味料として使ったり、温かい飲み物に浸して柔らかくしてからデザートとして食されていたそうですが、今日は、「人類の歴史を彷彿とさせる豊かな象徴性を持つ芸術作品として、あるいは独特の香りを漂わせる装飾品としてお使いください。」とのこと。  以下商品達⇩

以下『オールドボヘミアンペルニーク』です。

オボツネー クネドリーキ Ovocné  knedlíky

ペルニークを粉末にして、トッピングに使うスィーツ『オヴォツネー・クネドリーキ』をお目当てにカフェ・サヴォイCafé Savoyを訪れました1893年創業 老舗の同店で長年提供されてきたメニューです。

クネドリーキはオーストリア統治時代に伝わったレシピがアレンジされて出来上がったチェコの茹でパン 小麦粉とフレッシュチーズ、卵を合わせ、捏ねて作る生地を成形したら、茹でて作ります。

肉料理に合わせてソースを吸わせて食べる一方、デザートにもアレンジされ、ベリー類やプラム、アプリコットなど旬の果物を包んで仕上げられものは、フルーツを意味するオボツネー(Ovocné)と合成して「オボツネー クネドリーキ(Ovocné  knedlíky」温かいデザートとしていただきます。

そこで粉末のペルニークが添えられるメニューとして、プルーンが包まれたものをセレクト。

カッテージチーズやペルニークパウダーを敷いたら、主役のクネドーリキをおき、ペルニークの粉末と溶かしバター、粉砂糖をかけるのが伝統のスタイルです。

茹でたてのプリッと、もっちりした生地にプルーンの甘みと酸味、それにチーズのまったりとした味わい さらにペルニークのスパイスが効いてくる。小皿にたっぷり盛って添えられたペルニークパウダーで、「追いペルニーク」も!何層にも重なった味わいが楽しく美味しくいただきました。

パルドゥビツェやプラハのショップでペルニークを販売する棚の一隅にペルニークの粉末が袋詰めして販売されているのを見かけました。ヨーロッパ各国で昔から同様の使い方がされており、料理のスパイスとして、肉料理や煮込み調理の香りやとろみ付けのためにも使われます。家庭では長期に保存されて、固くなったジンジャーブレッドを砕いたり、擦ったりして粉末にして利用してきたのです。

ペルニーク・ナ・フィギュアーキー  Pernik na figurky

中世期に一世を風靡した木型を使った凹凸レリーフが美しいペルニークから、抜き型を使って、型を抜いたプレーンで柔らかい生地のペルニークが主流となって200年 ペルニークは多彩に進化発展を続けています。

新生ペルニークは、生地を伸ばして抜き型で抜かれるタイプに加え、大きなトレイに生地を広げて焼いてから切り分けるタイプも登場し、工場生産に加え、クリスマスの時期を中心にホームメイドも盛んで、切り分けて、ジャムを挟むアレンジも人気です。加えて特徴的な傾向は、手づくり生産を続けるショップが健在なこと さらに女性作家さん達により、ペルニークの表面をキャンバスに見立てて、シュガークラフトとアイシングによる美しく繊細な図案を描く技法が極められています。技術水準や芸術性の追求はとどまるところを知らない勢いで進化発展をとげ、『ペルニーク・ナ・フィギュアーキー  Pernik na figurky 』と名付けられ 材料は食用ですが、もはや長期保存の効く芳香漂う工芸作品 香りはお届けできませんが、画像をご覧ください。

Foto da tresbohemes.com